正行寺経蔵資料室編「梵鐘護持の信仰運動」を読ませて頂いて
上記の論文についての本日の私の話に先立ち、毎年恒例となりましたこの世界平和と和解を祈る集いの創始者のお一人であられた故平久保正夫様を祈念して、暫し黙祷を捧げたいと思います。
先の昭和天皇裕仁陛下の連合軍の要求による敗戦受諾の布告は次の言葉で結ばれていました。
「然れども朕は時運のおもむく所堪え難きを堪え忍び難きを忍びて万世の為に太平を開かむと欲す。」
今日のご会座のことを思いつつ、陛下のこのお言葉を数日前に読ませて頂いた際、今は亡き平久保正夫様の戦後に残された人生が、いかに深く陛下のお言葉の深 く意図するところを具現しえたものであったかを思わせて頂きました。戦中は言うに及ばず戦後にも大きな苦悩を背負われた平久保様は、故フィリップ・ダニエ ル様などと共に、過去には敵としてお互い激しく戦った両国の従軍兵の方々の間に和解をもたらす働きを通して、各々が真の心の平和を見出し得たのでした。
昨年三月の平久保様のご逝去に際して、当初私はこの平和と和解の祈りの集いをこれまで通り継続していくのは無理ではないかと懸念いたしました。しかし、今 や、この集いが、更にはこの集いを継続してゆくことが、平久保様から残された私どもへの大きな贈り物であることを確信しています。
ところで、今年は正行寺に関係した二篇の英語の論文が出版されました。両方ともが、“心の平和”(inner peace)と“世界平和”(world peace)、更には両者の関係を巡って、平和論の核心を突くものでありました。一つは、最近『イースタン・ブディスト(東方仏教)』から出版された佐藤 顕明師の『鈴木大拙と戦争の問題』であり、もう一つは、正行寺経蔵資料室編の「梵鐘護持の信仰運動」の英訳で、後者は、チャンジュ・ムンおよびロナルド・ グリーン編の『平和建設における仏教徒の役割』に掲載されました。本日の私の話は、この論文の内容の簡単な紹介に加えて、本日の世界平和と和解を祈る式典 という主題に関係して、私の考えるところを少しお話させて頂くつもりです。
「梵鐘護持の信仰運動」は、もともと、正行寺御住職竹原智明師監修のもと、篠原孝順師と妹尾恵修師という正行寺二長老によって纏められました。『平和建設 における仏教徒の役割』という英文の書物に掲載されたこの論文の英訳は、佐藤顕明師と横山ウエイン氏の共編になります。その翻訳の最終的仕上げに関してま しては、三輪精舎に長期にわたって貢献してこられたディリー・鈴間女史に負うところ大であります。
上記の論文を読ませて頂いて、その英訳は三輪精舎の西洋人同行にとってのみならず、広く真宗の生きた信心を学ぼうとしている全ての方にとって、掛け替えの ない資料となるものであることを、即座に確信いたしました。この英訳論文を通して、正行寺及び三輪精舎を含む正行寺各地道場において現在に至るまで途絶え ることなく確実に受け継がれている大行院様のみ教えの最も重要な部分の幾つかには、出会うことが出来ると思います。またこの論文は、大行院様のご生涯の重 要な歴史的詳細を記録し、特に第二次世界大戦の最中に始められた平和のためのご尽力に関連した師のみ教えを理解するためだけでなく、今日同様な平和運動に 関わる私どもにとっても、極めて重要なものとなっています。私は大行院様のご生涯の背景について、さらに師の信心獲得について読ませて頂いて、格別な興奮 を抑えきれませんでした。そして、正行寺の歴史において、大行院様がどうしてかくも傑出した人物であったかについて、初めて理解し始めました。師のご生涯 については、後にさらに触れさせて頂きます。
さて、その論文を一読すれば、論文の中心が、「大行院法師の世界平和への祈りの実践の最も力強い象徴であった」としている「梵鐘護持の嘆願」のエピソード であることに気付きます。論文に於ける他の重要な内容としては、大行院さまの信心開発、六世紀の聖徳太子に対する尊崇の念、1929年の宗教団体法案に対 する反対運動、疏開の展開(大行院様によって創始され、三輪精舎にて近年再検討され精舎にて現在年二回開催されているた真宗同行の信心練成の集い)、等々 があります。
また、この論文は、日本国家の文化的至宝ともいえる雅楽に対してほとんど知る所のなかった私に、正行寺が何故に伝統的な雅楽を仏教儀礼の中で引き続き導入 保存、採用奨励し続けているのかについても目を開かせてくれました。これまで私は雅楽の純粋に文化的な価値は認めるものの、しかしその有する計り知れない 表現の深さ、その人類全体に対する大いなる遺産とも言うべき側面には全く無理解でした。いまや、正行寺内の多くの優れた雅楽奏者と知己を得させて頂きなが らも、このように長い期間全く無知であったことを非常に恥ずかしく思っています。
上記論文は、、「宿善の自覚」、「仏法のご恩に対する報恩感謝」、「真実の無我の境地の体得」等々、真宗信心の核心となるところの教えが、僧伽全体の法動 において、また僧伽の信仰運動に参画する一人一人の生きざまにおいて如何にその表現を得ているか、との議論をもって結ばれています。もし、お会座ないし疏 開リトリートのような、三輪精舎の法動を体験されておられる方々であれば、この論文で扱われている内容からおおくの有益な示唆をえられることと信じます。 さてここで、この論文が語るところの大行院様のご生涯と師の「平和哲学」に目を転じたいと思います。
大行院とは日本国福岡県浄土真宗正行寺の第13世住職竹原嶺音法師に与えられた院号です。正行寺は今を去る400年以上前に初代竹原了圓法師によって開基 されました。了圓法師は当初広く九州地方を治める阿蘇家に仕える武士でした。戦の醜さを厭い、また島津家に対する阿蘇家の敗北を機に、了圓法師は北九州に 逃れ、奇しくもその地にあって本願寺第12世法主台下に見えます。その後台下は了圓師のたっての願いを汲んで師を得度させられました。この事実だけでも、 いかに正行寺がその開基の当初より戦乱によって荒廃しきった国土に内に、平和の基点を打ち立てんとの創始者の真摯な願いに、堅く立っていたかを語って余り あると思います。大行院様は20世紀の戦時中の日本の追い込まれた状況を凝視される中で、正行寺のこの歴史的背景を非常に敏感に思われていたに違いないと 思います。
大行院様が, 師の人生におけるさまざまな格闘との血の滲むような戦いを経て、阿弥陀仏に対する信心を獲得されたのは、1907年4月のことでした。師は『大無量寿經』の以下の一節の読誦を通して開眼されたといわれます。即ち、
「其れ衆生有りて斯の光に遇う者は、三垢消滅し、身意柔軟に、歓喜踊躍して善心生ず。若し三塗勤苦の処に在りて此の光明を見たてまつれば、皆休息を得て復苦悩無く、寿終るの後、皆解脱を蒙る。」
上記論文は更に、大行院様にとってこの『大経』のお言葉が「今や師を、その身も心も、海の如きの抱擁を以ってつつみ抱く活ける信心の素晴らしい広がりをい かに完璧なまでに表現し得ていた」かを語ってくれています。大行院様の阿弥陀佛に対する信心獲得、更にそのことに関わることどもは, 師のその後の平和へ のご尽力とそれに対する師の確固たる姿勢を理解するために決定的に重要であると信じます。そこにその詳細が語られていますこの論文から、大行院様の平和活 動は師の信心体験と切り離し得ないこと、言い換えれば、「心の平和」(inner peace)と世界平和への努力が師においては一つであることは明らかです。さらに論文の著者は、大行院様に於けるこの両者の関係と、それが私たちの生活 にもふかく関わる事実であることを次のように忘れ難く語ってくれています。すなはち、
「私たち一人一人が、仏教でいうところの涅槃、即ち心の平和(inner peace)、ないし心の平安(tranquility of being)を得ることなしには、三世に亘って私たちを苦しめて止まない宿業の拘束からの解脱はあり得ない。一人一人に心の平和が獲得されるに及んで、国 家の平和、人民の平和、究極的には世界平和がもたらされる。これことを措いて世界平和を達成する道はあり得ない。ダライラマ猊下が世界平和の源泉として倦 むことなく心の平和に言及される理由もここにある。そのような心の平安は無数の偉大なる仏教者に加えて、これも無数の宗教指導者の方々、および彼らと志を おなじくする人々によって体現されてきた。私たちが今日考えるべきことは、そのような世界に平和をもたらすために、まず私たち自身の内なる平和、即ち心の 平和を一人一人がいかに達成するかを見出すことである。」
この文章は今日のように先の見えにくい時代に生きる私たちの直面している課題をいみじくも語ってくれています。さらに、それは毎年時を定めて平和と和解を 祈るために集まる私たちのたっての願いでもあります。私自身のキリスト教および仏教的背景をもって、たとえ私の知識は限られているとしても、少なくとも異 なる宗教、国籍のそれぞれの信仰に生きる多くの方々との掛け替えのない出遇いを通して、私には心の平和こそ信条の違いを超えて全ての人において目指されう る生きた原則であることがますます明らかになってきたように思えてなりません。
上述の論文の語る大行院様のご生涯の概略を通して、師の深い信心体験における内的世界が、師の生きられた時代、社会的にも政治的にも困難を極めた世界状況 にあって師を幾重にも取り巻いていた深刻な問題の解決の糸口を見出すための貴重な支えであったことは今や明らかです。中でも忘れ得ないのは、当時日本の全 ての宗教団体を国家の支配下に置くために制定しようとした1929年の宗教団体法に真っ向から立ち向かって大行院様が原則を明確にされたその仕方です。大 行院様は宗教団体法反対運動の目指すところについて以下のように書いておられます。 曰く、
「事柄は賛成だの反対だのという二者択一の話ではない。我々に求められているのは、そのような法律が二度と日の目を見ることがないところまで反対し抜くことである。徹底的に他力の信心に立っての反対運動である。」
大行院様が組織された宗教団体法案への反対運動は、師の阿弥陀佛における純粋きわまる信心によるがゆえに妥協を一切許さないものでした。ただそういう考え は、法案提出発起人たちからは完全に見捨てられていました。しかし、ここで注目すべきことは、人間の良心と宗教の自由を抑え込むことを目論む宗教団体法案 の強要に反対するための運動に立ち上がられた師の確信が、師ご自身“我が心の悪魔の大軍に対する徹底的な内戦である”と述べておられるご自身の深い内省に 基くものであったということです。
外的世界の平和の成就は、個々人の心の平和の開発を以ってのみ可能であるという大行院さまのご確信を支えたのは、師の聖徳太子にたいする仰信でありました。
聖徳太子は偉大なる仏教学者、信仰者であるにとどまらず、まちがいなく日本の最も賢明な指導者の一人でした。太子は、『十七条憲法』として知られる日本国 家憲法の最初の起草者でありました。その『憲法』は、有名な「和をもって尊しと爲す」、さらに「あつく三宝を敬え」という言葉によって始められています。 文字通りこういう金言を生涯を通して実践なさった太子にとって、それは空疎な理想ではありませんでした。結果的に命をかけることになった朝廷の権力闘争に 明け暮れする中で、聖徳太子は、この論文の著者によれば、「その闘争を自分自身の問題として主体的に受け止め、従ってその解決を自らの内的宗教的戦いを通 して達成せんことを求めて、静かに座禅しておられた」のでした。
大行院さまご自身の個人としての現実と、破壊の火によって世界をなめ尽くしつつある世界大戦との業縁を見つめられつつ、大行院様は朝晩欠かさず聖徳太子の 御像を仰ぎ礼拝され、社会の問題の解決をまず第一に心の平和の達成に求められた太子の模範に習おうと努めておられたに違いありません。同論文は、大行院様 が開眼された心の平和の源泉についての師御自身による言葉を紹介してくれています。即ち、
「心の平和はただ自覚(さとり)の世界、即ち仏陀の世界のみにおいて見出されうるものである。この事を深くわきまえられたうえで、大行院様は心の平和の源 泉について、『我々が我々の内面に建立すべきもの、我々が共に建立すべきものは、そこでついに平和が実現される、永遠に、変わることなき、常しえの寺でな ければならぬ』と教えて下さっています」。
師のこのお言葉は、拭い去り難い印象を私の心に刻み付けてくれたこの論文に記述されている、大行院様の限りなく深い宗教的確信を私に教えて下さいました。 日本の蒙った原爆の悲劇以来、日本国内において、また世界において、アメリカ軍の原爆使用の是非を巡って世論は鋭く二分されてきました。私の知る限りこの 問題についてはほぼ例外なく、これ以上戦火を長引かせないために原爆使用はやむを得なかったという意見か、あるいは当時のソビエトに対して自国の原子兵器 の威力を示すためであったアメリカの原爆投下は全く不必要な過誤の武力行使であったとの意見かの何れかでした。
大行院様ご自身のこの悲劇に関する内省は、当時の歴史的政治的現実の解釈の基づく相対的意見の全てを完全に超絶したものでした。世界史上未曽有の破壊的行 為という事実に対する大行院さまの反応は、原爆による大量虐殺の全責任をご自身に、そしてご自身のみに引き受けられるというものでした。師は書いておられ ます、「嗚呼、この大虐殺はひとえにわが身の無明ゆえに引き起こされたものである」と。この論文の著者によれば、この「妥協なき懺悔」を通して、大行院様 は、日本に対する原爆投下による大虐殺というような恐るべき出来事は、「そのような戦争を引きおこした我等自身の宿業」にその原因があると、師ならではの 驚くべきご自督の言葉を語っておられます。私といたしましては、大行院さまのこのご領解を眼の前にして、ただただ恥じ入るばかりでした。師のお言葉は、こ の世においては全く希有な、深遠なる精神的洞察の開花を見させて頂く思いです。
最後に今一度、師の平和哲学を最もよく要約してくれていると思われる大行院様のお言葉を引用させて頂いて私のお話を終えさせて頂きたいと思います。それ は、私たち一人一人が漏らさず受け取り、また心の内に味わうことができるようにと、正行寺が世代を超えて倦むことなく伝え続けてきた、永遠な意味を持つ大 行院様のメッセージであります。
「ひとたび、あの恐るべき戦争の原因が実に我々自身のうちにあることに気付くなら、今や戦争終結を寿ごうとしている我々の使命は、このような戦いを二度と 繰り返さないために全力を傾注することである。我々の僧伽である正行寺は、原子爆弾による大量殺戮の原因が我々自身の人間業に深く根ざすものであることを 認める。そして、我々の生涯を傾けての大いなる使命は唯ひとつ、それは、金輪際このような大量殺戮を引き起させることなく、この大地に極楽世界を建立する ことである」。