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「やきもきするな。心配するな。ただなすべきことをなせ。ひたすらに」第137回ロンドン会座報告

第137回ロンドン会座報告

 

2018年二月25日日曜日

 

二月のお会座の雰囲気は、渋みのあるおいしい柿のように、微妙ながらも感動的なという好対照を持つ雰囲気でした。お寺の外では、身を切るようなシベリアからの風が枯れ木を吹き抜けており、お寺の内側は、厳しくも神々しい冬の光に浴していました。同様にして、さまざまな友人や親族の病気や無常といった悲しい消息は、お互いの出会いの喜びと温かみで和らげられていました。

 

ジョン・ホワイト教授の「自分の話は出席者が少なくなりがちだ」という謙虚なご発言にもかかわらず、実際には三輪精舎はお同行でいっぱいになり、五、六名の新参加者もあって、すべての人びとがホワイト教授の「佛教と逆説と実在」というご講話に聞き耳を立てました。後で佐藤顕明師のお話でわかったことですが、ホワイト先生はつい最近重態に陥っておられたのだそうです。この認識がまた当日のご講演に迫力を添え、ホワイト先生のお言葉に新しい光を投げかけました。ご講演の論述は、哲学的な講義であると同時にその「いのちの意志」の表現でもありました。

 

このご報告文を読んでおられる方々はほとんどが、正行寺か三輪精舎でホワイト教授のご講演を聞いたり読んだりする好機に恵まれた方々でしょうから、その広大にして深遠なるお話を要約することはできないことだということをよくご存知だと思います。それは、ホワイト教授がその人生の晩年になし遂げた自己教育と自発的研究の途方も無い努力を隠す易しく軽いタッチで、大乗哲学から西洋の科学的見識にまで及ぶお話でした。このお話をなさるには、ご自身の重要な人生の業績は全く差し置いて、「初心者」に成りきってのご晩年を送られたことでした。

 

しかしながら、ホワイト教授のご講話の中心はおそらく、「私たちは『縁起』を何か外のことのようにとらえ、自分自身を単純に『縁起』の結果としてみる傾向があります。しかし実際には、『縁起』は私たちの外ばかりでなく内にも常にはたらいているのです」という数行に見出せます。去年のご講話でもそうであったように、ホワイト先生は、私たちが決して単に公平なだけの外からの傍観者にならないことの重要性を強調して下さいました。精神的にも科学的にも、純正な真実の探求は常に、自分自身の責任ある参加の不可避性を認識しています。

ホワイト先生のご講話のその他の重要な点はおそらく、聴衆の中のいろんな方々の発言から取り出せます。いつものように見事な司会をしてくれたアンドリュー・ウェブ氏は、佛教経典を読むに当たってのホワイト教授の「三レヴェル解釈法」に言及して、それは将来自分にとって非常に大事になるだろうと述べられました。おなじく、佐藤博子さんは、これまではいつもホワイト先生のお話は難しいと思っていましたが、今回は先生の話は「非常に簡単」、ただ「目覚めて自分が何であるかを知りなさい」と言って頂いているのだと思いましたというご発言で、笑いを誘いながらも深い見解を述べられました。博子さんは、ホワイト先生のご講話を通して、「生死の底にあたたかさのあることが感じられました」とも付け加えられました。

佐藤顕明師も、ホワイト先生の「私はただそれをなすだけです」という言葉を強調し、その簡明さという点に深い共感を示されました。顕明師はまた、正行寺と三輪精舎僧伽のためにホワイト先生が「ただなすだけ」(「行為のための行為」)と、これまでなし遂げて来られたし、なし続けておられるすべてのお仕事のすばらしさを指摘されました。顕明先生は「私はいま、ホワイト先生が他のために働いておられるその利他的行為が、第一のレヴェルから、法性法身の形を超えた真実から、現れて来ているのを実感しています。私にとって、ホワイト先生は佛さまの化身です」と仰いました。このご発言を基調にして、理事のスティーヴン・モンゴメリー博士など、何人もの僧伽メンバーの方々が、ホワイト教授についての自らの印象を話して下さいました。モンゴメリー博士はまた、博子さんがホワイト先生のお世話をされていることに触れながら、ご自身も日本で病気になったときに博子さんに御世話になったことを感謝されました。

お会座は、石井建心師がホワイト先生に坐ってお休みくださいとお願いされると、ホワイト先生がそれをお断りになるというところで、終わりに差し掛かりました。皆さんの笑いに対して、建心師は「先ほど顕明さんは、ホワイト先生は『逆説の人』だと言われましたが、私は彼を『頑固者』といいたいと思います」と仰いました。建心師は更に続けて「しかし、私はこの『頑固』の意味を変えたいと思います。ホワイト先生のご様態が非常に悪かったとき、先生は主治医の先生以外の誰にも会おうとされませんでした-仮令その待機期間がご自身のいのちの危険を意味していても。最初私はこれは頑固だと思いましたが、次にはホワイト先生がひどい咳をしながらも私に何かを伝えようとしておられるのに気付きました。注意深く聞いてみると、先生は『お前は出会ったことのある人だけを信頼すべきだ。地位があるということだけでその人を信ずるというのは馬鹿げている』と仰っていました」と言われました。建心師は、ホワイト先生のお言葉は自分に対する助言であり愛の表現だと感じたと仰いました。そして、ホワイト先生のお言葉は、「ただ念仏して弥陀に助けられ参らすべしとよき人の仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」と、親鸞聖人がその師法然上人に従われたときのことを思い出させてくださったと言われました。建心師は、ホワイト教授が自分自身の人生にまったく無執着であり同時に自分の生き方にまったく忠実であることを見出されました。「佛教と逆説と実在」という講題のホワイト先生のお話にこれ以上の表現があるでしょうか!

ホワイト教授は何十年も正行寺僧伽で講演し続け、正行寺僧伽に関わってこられましたが、先生はいつも「仏教徒」という肩書きを避けてこられました。建心師は,このことが自分や僧伽のほかの人たちに、思想としての佛教と実践として心の薬となる佛教に大きな違いのあることを教えて下さったと仰いました。建心師が心の祖父と見るに至ったホワイト先生とのこの出会いから、この報告書の結語にふさわしいと思われる次の言葉が浮かんできました:「やきもきするな。心配するな。ただなすべきことをなせ。ひたすらに」。

合掌

アンディ・バリット

2018年2月26日