News

「私のこころに咲く蓮の花」- 第164回ロンドン会座報告 –

第164回ロンドン会座は、六月二十五日かなり熱い夏の昼下がり、三輪精舎で開催されました。幸いなことに、精舎内は心地よい涼しさで、爽やかな風が吹き抜けていました。

勤行中に、一年前に亡くなられた故青木美歌姉を追悼してのお焼香がございました。彼女は、僧伽に多大な贈りものをもたらし、みんなに愛しまれた三輪精舎住人でした。彼女を知っている人々は、敬いのまことを以て感謝しつつ、一人一人在りし日の彼女を偲びました。

勤行後、司会のアンドリュー・ウェブ氏は、お会座の皆さんに温かな歓迎の言葉を投げかけて下さいました。次にアンドリューさんは、先般のガーデン・オープン・デーに関わられた皆さんと三輪精舎ニュースレターの最新号の編集を助けて下さった人々に感謝の言葉を述べられました。特に、2001年以来ニュースレターの編集という非常に困難な仕事して下さっているルシアン・ショクロン博士に甚深の感謝を表明されました。

これに続いて、アンドリューさんは、「私のこころに咲く蓮の花」という明解なご法話をして下さった石井建心師を紹介されました。

建心師は、蓮の花の美しさと清浄さから語りはじめ、どうして蓮の花が仏陀の無上覚の象徴であるかを話されました。建心師はまた、蓮の花は清浄で美しいけれども、泥中にのみ育つのだと仰いました。仏教においては、蓮華は悟りの象徴であるのに対し、汚泥は私たちの煩悩を象徴しているのです。

続いて建心師は『維摩経』に触れられ、この御経は、対立する二者は離ればなれにあるのではないと教えていることを話されました。

建心師は引き続き「蓮が咲くには何が必要か」を説明されました。

まず建心師は「汚泥」について語り、内省し懺悔することの大切さを話されました。建心師は、私たちの苦の原因は、汚泥そのもの、私たちの煩悩であり、その結果として私たちは苦悩するのであると仰いました。親鸞聖人は、自らの心の状態を自覚すべきであるという佛さまの教えを深く受け止められ、徹底的に自己を見つめられたと話されました。比叡山での二十年間の佛道修行の結果、親鸞聖人は、自力で煩悩を除くことはできないことに失望し、「愚か者」「救いがたい煩悩具足の凡夫」と表現されることになりました。親鸞聖人の自己への目覚めは、釈迦牟尼佛が「人生は苦である」と仰ったごとく、自分は汚泥であるという自覚でした。しかし、私たちは、美しい清浄な蓮華はこの汚泥の中に咲くのだという佛さまの教えを忘れてはなりません。

次に建心師は「水」について語り、日常生活での継続的実践の大事なことを話されました。佛法僧の三宝について言及され、法はしばしば水として叙述され、「法水」呼ばれると仰いました。佛法は私たちの煩悩を浄化できる唯一のものです。

私たちの心は水がなければ乾燥して固くなってしまうと仰いました。いったん乾燥してしまえば、法水を吸収することは非常に難しくなってしまいます。

次に建心師は「光」について話され、心の出会いの大事さに言及されました。

建心師は、光を私たちの心の汚泥を照らす佛さまのはたらきになぞらえられました。この光は、蓮華のごとく清浄にして美しく妙なる個々人を通して経験されるのであり、佛さまの光は周りの人々や事柄を通していつも私たちをやさしく照らして下さっています。

建心師は、「種子」つまり蓮華の因に付いて話されました。
建心師は、蓮の実は阿弥陀仏の大悲の具現、佛性であると仰いました。佛さまの種子は私たち一人一人の穢れた心の中にすでに植え付けられているのです。建心師ご自身にとっては、師であるご院家さまとの心の出会いに照破され、お慈悲に目覚めさせて頂いたあの日に、その種子は芽吹いたのでした。私たち一人一人の穢れた心に植え付けられた蓮の種は善知識との出会いによってはじめて目覚め成長し始めるのです。

建心師は次に佐藤博子さんとクリス・ドット氏の出会いを一例として取り上げられました。博子さんは癌を患い病院で臨終の床に着いておられました。クリスさんがお見舞いに行ったとき、博子さんは彼に「私たちはお浄土でまた会えるでしょう」と仰いました。このお慈悲の言葉によって博子さんはクリスさんの心の泥中に蓮の種を発芽せしめ、「欲生心」を目覚めさせたのです。クリスさんは、博子さんの中に清浄な蓮華の開花を見ることが出来ました。博子さんを照らす阿弥陀の光はクリスさんの心中の種子を発芽させました。

建心師は、ご法話の結論として、私たちの汚辱の心に与えられるすべては阿弥陀佛の大悲のご廻向ですと仰いました。蓮の種子と法水と光明はすべて阿弥陀仏の他力のはたらきです。親鸞聖人は、汚泥のごとく不純な人々にも既に心に蓮華を咲かせる道は与えられていると教えて下さっています。この道は、阿弥陀佛のお慈悲への目覚めから創発するお念佛です。阿弥陀佛の大摂取によって、全く自然にすべてが御恩ばかりなのですから、すべてを阿弥陀仏のお任せしましょうと仰いました。

建心師の素晴らしいご法話の後、アンドリュー・ウェブ氏は建心師に御礼を述べ、満喫させて頂きましたと御礼言上。アンドリューさんは、ご法話を聞かせて頂いて、お同行からどれほど沢山のことを頂戴しているか、そしてそのすべてが阿弥陀仏からの贈りものだと気付かせて頂いたとお礼を述べられました。アンドリューさんは、お話しを聞かせて頂いた今、「反対の一致」ということをより明らかに理解することが出来るようになりましたと言われました。

サム・ケリー氏は、ご法話を聞かせて頂いて、継続的な聞法の重要性を思わせて頂きましたと述べられ、そういう意味で、送り出してくれる奥さまがご自身の聞法を助けて呉れていることに感謝の意を表明されました。サムさんは、博子さんにまた会えることに何らの疑問もないと述べ、顕明師と建心師のご指導に感謝されました。

クリストファー・ダクスベリ―氏は、建心師のご法話によって、すべては他力からということが解り始めましたと仰いました。三輪精舎に参詣するように導いたのは、自分自身の苦悩でしたと言われました。クリストファーさんは、彼のご両親が晩年になって帰依したキリスト教がご両親の生き方を変えたのを見たことによって、彼自身の精神的生活への関心の種子が植えられたのだということに気付かせて頂きましたと披歴なさいました。

次にアンディ・バリット氏は、建心師が極めて明瞭にして実際的なご法話をして頂いたことと蓮華にいのちを吹き込んで頂いたことに感謝されました。正行寺に参詣させて頂いて、自分の乾き切った心は光と水を受け取ることが出来たと述べられました。バリットさんは、美歌さんは蓮華のごとくだったし、あっという間に消え去った流れ星のようだったと仰いました。アンディさんは美歌さんの詩を紹介してくれました。

あなたに続く森

外の世界がどんな風にきこえても

心の中はいつも自由に

光の糸で愛情を織っていく事が出来る

遠い昔に生命が始まって

何度も変化を繰り返し

いくつもの種を受け継いで

今ここに生を頂きました

そうしてあなたに出会えた喜びを

どうやって伝えることが出来るのでしょう?

一週間前に6日間三輪精舎に滞在されたサリー・ヘイドンさんは、三輪精舎でお会いしたすべての方々から親切心と慈愛を感じ取らせて頂いたとお礼を述べられました。頂戴したすべての愛とお守りに甚深の感謝を覚えながらお暇させて頂いたと仰いました。

ショーン・シム氏は、三輪精舎を発見できて非常にしあわせですと述べられました。もともとは、子供の頃シカゴの仏教寺院に参詣していて、その時の経験が若い時分に蓮華の種を発芽させてくれたのだと仰いました。その時頂戴した小冊子の中から、「汚泥の池中より生じながら、蓮の花は清浄であり、環境に汚されない」という一句を紹介して下さいました。


三輪精舎主管の佐藤顕明師は、暑い日に吹き抜ける涼風のようだったと、建心師の素晴らしいご法話に感謝なさいました。顕明師は、言葉も形も超えた真実である佛の法身と私たちの煩悩が、どのように関係しているかを知ることが非常に大事だと仰り、それを説明するために、鈴木大拙先生が『教行信証』英訳のために書き置かれた「ノート」を引用なさいました。

「煩悩の活動という事実そのものが、

私たちの内にあって、私たちを超えている何かを

希求させるのである。

この希求は、「本来の体(法身)」のはたらきであり、

その事実は法蔵の物語として神話の形で

私たちに与えられている。この希求は祈りである。

この祈りは外の誰かに向けられているのではない。

この祈りは家に帰りたい、自分自身に帰りたいという願いである。」


顕明師は、煩悩具足の一切衆生は佛陀の智慧の中に包まれているということが原初にあるのですと仰いました。

皆さんが建心師のご法話に対してそれぞれの所感を述べられた後、石井家の娘であり四歳の時から三輪精舎に暮らして来た石井ひとえさんがお礼の挨拶に立たれました。間もなく日本で仕事をするために去ることになります。非常に興奮していますが、去ることは悲しく不安でもあります。お寺でお育て頂いたことは幸運であったし、三輪精舎は宝であり、永遠に故郷であると感じています、と仰いました。ひとえさんは、ご両親、顕明さんと博子さん、そして彼女の成長に寄り添って下さったすべてのお同行に心より感謝していますと言われました。僧伽の一員に加えて頂いて幸せでしたと感無量のお礼言上でした。

アンドリューさんはひとえさんに感謝し、彼女は僧伽にとっては賜りものだったし、三輪精舎の蓮の花でしたと仰いました。

アンドドリューさんは、三輪精舎に予定されている近未来の法動を紹介して、閉座を告げられました。

その後は温かな夏の陽光を浴びながら出席者同志での歓談を楽しませて頂きました。

クリス・ドット記