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他との出会い

第167回ロンドン会座報告 2023年12月03日

この一週間、イギリスは凍えるような寒さでしたが、多くのお同行が三輪精舎に集まり、第167回ロンドン会座に参加されました。このお会座では、顕明師、ホワイト先生と共にロンドンに三輪精舎サンガを建立された故佐藤博子夫人の追悼が併修されました。

今回の会座では、長年三輪精舎サンガに欠かせない存在として求道しているアンディ・バリット氏に、「逆境の中で、他者との出会いを通して光明に遇う」と題して、英国僧伽の法動に参加したこの一年を振り返りながらお話し頂きました。アンディさんは、「他者」との出会いを通じて得た精神的気づきへの感謝に満ちた、深く洞察力に富んだ講演の中で、この一年間、阿弥陀仏から贈り物として受け取った出会いと人生の状況について、赤裸々にご自身の心の動きをお話され、感動を以って聞かせて頂きました。 彼の正直かつ真摯なお話は、まるで彼の全存在を照らす仏様の光に聴衆の私たちが遇わせて頂いているかのようでした。

アンディさんのお話には、「老、病、死、無常といった課題の中で、彼と彼の周囲の多くの人が直面している苦しみ」と、「ご僧分から受けとられたお念佛のみ教えを、そのような日々の生活のなかでどのように咀嚼していくか」という二つの主要テーマが取り上げられました。アンディさんは、友人、家族、職場の同僚、お同行、ご僧分から受け取った彼の心に響き続ける智慧の言葉の生き生きとした例を用いて、これらの二つのテーマがいかに密接に関係しているかを明らかにし、感謝の思いを表現されました。またアンディさんは、与えられたすべての出会いを通して「無限の光」に照らされて初めて自覚することができた自分自身の内なる「闇」(業報)に対し懺悔されました。

アンディさんのお話をきっかけに、精舎に参詣したお同行、そして世界各地からオンラインで参加した多くのお同行は、このお話のテーマを自分の人生や経験の中で考察し始めました。特に生老病死という無常の現実に直面すると、怒り、不満、利己主義など、私たち一人ひとりの業が露わになってくる事実に関して、対話が繰り広げられました。

サム・ケリー氏は、秋の疏開リトリートでのアンディさんとの出会い直しを通して、サムさんが「こうだったらよかったのに」と思ってしまう決断をした親しい家族に対して、相手に敬意を払っていなかったことに気づいたと話されました。アンディさんとの出会いを通して、サムさんは自らの尊敬の念の欠如が照らされ、それに気づかされたことによって、仏様の光に値遇した感謝の念に変わっていくのを感じられたそうです。

またクリス・ドッド氏は、アンディさんの話を聞いて、日常生活で常日頃感じている怒りは、実は自分自身の「自己執着」が原因であり、帰依とは他力に委ね、物事を「あるがまま」に受け入れることであると感じましたと。アンディさんは、念仏修行のなかで、阿弥陀仏の光に出会い、私たちの煩悩の存在に対する認識が、どのように与えられるかを理解することがいかに重要であるかを強調して応えました。

次に、家族とともにオンラインで参加されたレアさんが発言されました。レアさんは、二十九歳で亡くなったご子息の葬儀を先月されたばかりで、建心師から会座へ参加するよう招かれたそうです。 レアさんは、ご子息のご葬儀と、初めて参加した本日のロンドン会座で受けとられたこと全てに対し、深い喜びと感謝を述べられました。 彼女は、建心師との出会いを通して、自分自身の「悲しみの涙が感謝の涙に変わる」のを実感し、ご子息の命は、仏さまからの彼女自身に対する贈り物であったことに気付かされたと披瀝されました。

続いて、初めてロンドン会座に参加したUCLの学生、イーヴィーさんがお礼を述べられました。イーヴィーさんは、お仏間で皆がサンガへの信頼と誠実さを持って自分の感情を表現したのを聞いて、とても感動したそうです。また、昨日、イーヴィーさんは精舎の庭作業に初参加し、石庭のお掃除を手伝うように頼まれました。彼女は、庭に植えられた苔と、その中に生える取り除くべき雑草を区別するのが必ずしも簡単ではないことに気づき、新たな次元で庭を鑑賞し、何を残し、何を捨てるべきかを意識するようになったそうです。

ニック・タイラー教授は、アンディさんの話を聞いて、彼が教鞭をとっている大学で学生と接するときの自分の態度について考えることができたと感謝を述べられました。その結果、ご自身の役割は学生に知識を与えることではなく、学生が自ら知識を発見できるようにすることであると感じられたそうです。

最後に建心師。

アンディさんのお話には、お同行から受け取られた智慧の言葉と、それらを自らの人生に於いて領解して生まれた彼自身の気づき、智慧の言葉が含まれています。アンディさんのお話に対する皆さんの応答を拝聴し、敬意の欠如は他人の態度に起因するのではなく、むしろ自分自身の傲慢さから来るものであることを教えられました。宗祖親鸞聖人や、正行寺ご住職竹原智明師は、決して「私はあなたの師匠です」とは仰らず、それぞれのお師匠様を敬い仰がれながら、すべての人を平等に尊重されます。そのような素晴らしいお心に倣い、私たちは常に如来聖人の弟子として、生徒として、敬いを以て謙虚にお念佛のみ教えに耳を傾けることが大切です。

仏教の真理である「無我」を頭で理解しようとしても、自らの知的理解に対する慢心を強めるだけです。私たちに必要なのは、知的な理解ではなく、日々の生活における他との出会いの中で仏教の教えを真に体験することではないでしょうか。ご院家さまはいつも、問を持つことは人生においてとても大切なことであると教えて下さいます。現在、私自身もそうですが、生老病死の苦しみの真っ只中で、「今こそ気づきなさい」というお呼びかけに心静かに耳を傾け、「自分はどこに向かって歩んでいるのだろう?自分は今何を願われているのだろう?」と、問いを心に抱くのが仏弟子の相であり、そうすれば人生のあらゆる経験から自然に多くを教えられると思います。

筆者お礼

 この報告を締めくくるにあたり、三輪精舎サンガと家庭、職場において、一年間にわたる精神的修行の成果を非常に丁寧に消化して下さったアンディ・バリット氏に私自身の感謝の意を表したいと思います。アンディさんの話にあった「気づきを可能にしているもの、つまり自分が真っ暗闇の中にいると思っていてもいつも与えられている、他者との出会いによる他力の光に気づく喜び」という表現を聞き、サンガを通して体験する世界と、サンガの外での自分の生活との間にある隔たり、つまり私の自己中心的な視点が作る隔たりが、自然に縮まっていくのを感じました。

顕明師は毎年恒例の正行寺滞在のため、今回の会座には参加できませんでしたが、いつも三輪精舎を支えて下さっている博子さんやホワイト先生とともにここにおられると感じました。

アンドリュー・ウェブ記