第21回疏開リトリートと第138回ロンドン会座報告
四月二十日金曜日夕刻、非常に温暖な天候のもと、初めての参加者一人を含む十七人が第二十一回疏開リトリート開会式に参加しました。
何時も通りの暖かな歓迎を受けて、私たちはみんな安らかな友情と調和の雰囲気にこころよく溶け込むことができました。そのお蔭で一人ひとりが静かに楽しくリトリートへ集中させて頂けました。
疏開リトリートのテーマは、「私は無我の教えから何を学んだか」という問で、準備段階でこれについて考え、それについての自分の思いや理解を書いて来るように宿題を出されました。
佐藤顕明師の開講式の法話では、無我の主題が提唱されました。「無我」というのは、三法印の一つであること、私たちは自分自身を別々の独立した存在と見ているが、実際にはすべての人やすべてのものと完全に依り合いながら存在しているのであるということを教えて頂きました。
自分が非常に自己中心的であるということに、そしてまた私たちは我執の濾過装置でしか世界が見れていないことに気付き始めることが重要であると教えて頂きました。
顕明師は、私たちがすべての執着を離れ無我になれるのは、それがほんの一瞬であっても、すべてをおまかせして阿弥陀仏に帰依することによってのみであると教えて下さいました。
「煩悩具足の凡夫火宅無常の世界は、萬のこと皆もって空言、たわごと、まことあること無きに、ただ念佛のみぞまことにておはします」という、『歎異抄』の親鸞聖人のお言葉を聞かせて頂いて、私たちは非常に感動しました。
顕明師の法話の後、リズ・バー姉が誓いの言葉を述べられました。その誓いの言葉で、彼女は非常に正直に勇気をもって、ご自身が若いときに大きな間違いを犯したことを話され、そのときご両親は、彼女に賛成はなさらなかったけれども、常に彼女を支え無我の愛を注ぎ続けてくださったのだと話してくれました。リズさんは、彼女を助けるためにご両親が常に愛情を注いで下さった御恩に対して甚深なる謝意を表明されました。
夕食後は座談会があって、私たちは無我というテーマについて話し合いを続けました。顕明師の話からの展開で、再び「縁起(縁って起こっているということ)」と「自他一如」について考えました。私たちは人生における慈悲と感謝と謙虚の重要性について、また、我執を離れないかぎりそのような人生を送ることはできないのだということについて話し合いました。
残念ながら出席のかなわなかった一人のお同行(アンディ・バリット氏)がそのお手紙のなかで、問題のある人びとのために所属する共同体(キリスト教教会)において無我な相で働き続けているご両親について語り、また、正行寺滞在中に「何か趣味はございますか」と坊守さまにおたずねした時のことを話してくれました。この問いに対する坊守さまの答は、「他の人びとを助けるのが趣味よ」でした。
この座談会の終わりには、顕明師が法然聖人と親鸞聖人の関係について話され、親鸞聖人は法然聖人を無我なる慈悲の権化として拝んでおられたと話して下さいました。
翌朝は、私たち一人ひとりがみずからの無我についての理解を話し合いました。多くの参加者が、これまでに他の人から、特にご両親や親戚の人びとから、気付きもしないで受け取ってきた、他者の無我なる愛と親切について語ってくれました。すべての参加者が、もし偏った自己中心的見方でのみ物事を見るならば、無我になることは非常に難しいということに気付かせて頂いたようでしたが、私たちが教えて頂いた中心は、自分自身の煩悩に気付かせてくださるのは、阿弥陀仏の光であるということでした。何人かの参加者は、「無我」の観念は把握しがたいと述べましたが、このリトリートで頂戴した助言(アドヴァイス)は、繰り返し佛法に帰り続け阿弥陀佛に帰依するだけということでした。
私たち一人ひとりが無我についてのそれぞれの思いを述べ終わった後、石井建心師がご本坊である正行寺の最近の法動についてプレゼンテーションをしてくださいました。建心師は、新しい歸命圓堂の建設について話され、そこには圓堂が納められ、その圓堂には新しいお佛像がお入りになることを話して下さいました。建心師は更にさまざまな素晴らしい影像を使って、釈迦牟尼佛の時代から今日に至るまでの一光三尊佛の物語全体をお話しくださいました。インドから中国と韓国を通って日本に至るまでの過程を聞き、善光寺と高田における「秘佛」としての一光三尊佛の歴史を辿り、今日歸命圓堂に納められるまでのお話を聞かせて頂けたのは、本当に魂を奪われるような感動でした。
それはすばらしいお話で、本当の清浄さと真の無我が、一光三尊佛将来の旅に関わったすべての方々から輝き出ているように思われました。
三輪精舎と正行寺を通して、佛教の歴史全体と何らかの関わりを持たせて頂くというのは、たとえそれがどれほどささやかなことであったとしても、私たちにとっては非常に特別なことで、謙虚な気持ちにさせて頂きました。私たちは英国に三輪精舎を頂いて、非常に幸運です。そしてこのプレゼンテーションは本当に、今正行寺で起こっていることと私たちが繋がっていると感じさせてくださいました。
建心師はこのプレゼンテーションを終えると、ご自身が無我を経験したときの話をしてくださいました。それは、まだ若かったころご自身の師である正行寺のご住職、ご院家さまが建心師に僧侶になるように言って下さった時の出会いの話でした。建心師は、その瞬間すべての我執がことごとく消え去って、ご院家さまのお慈悲に完全に抱き取られたように実感したと仰いました。考えることさえもなく、建心師はご院家さまのお言葉に「はい」と答えていたそうです。
午後はまだいい天気だったので外で庭仕事をさせて頂きました。このリトリートのテーマをこころに、皆が一緒に無我に和して働かせて頂き、結果として沢山の仕事を成し遂げることができました。
しばらく休憩の後、私たちはお仏間に戻り、石井建心師のご指導で声明習礼をさせて頂きました。声明の基本的なことを沢山教えて頂くと共に正しい作法とお仏間での振る舞いについてご教示頂きました。この習礼で学んだ最も大事なことは、勤行の主目的は私たちの阿弥陀仏への感謝の表現であるということでした。この時間の終わるころには、私たちの経典読誦能力は確かに上達していました。
夕食後私たちは内省しこれまでの所感を考える時間を持ちました。
日曜日の朝は、瞑想と晨朝勤行の後、皆がお互いの短い所感を披瀝する時間となりました。すべての参加者が本当に創造的な楽しい時間だったと述べられました。皆さんの感想に共通して出てきたのは、私たちがみんな内に向き始め、自分自身の我侭な自己中心的思いに気付き始めたということでした。これまで別な僧伽(隣寺のロンドンヴィハーラ)で修行してこられ今回始めて疏開リトリートに参加されたジェニーさんは、「ここで経験した暖かく親切な全体の雰囲気に特別な感動を覚えました。非常に親睦的かつ友好的な雰囲気の中で快く過ごさせて頂きました」と言って下さいました。二回目の疏開参加となったクリストファー・ダックスベリーさんは、「三輪精舎のいろんな会合に参加し始めてからの私は、もし私の人生がジグソーパズルだとしたら、いくつかの無くなっていたパーツを、嵌め込むことができるよう、今与えてもらっているように感じています。また、疏開リトリートの全期間を通して、無我なこころでお食事を世話し提供して頂いたことも忘れられません」と仰いました。すべての人が、「無我」というテーマに関してより深く理解し、午後に予定されているロンドン会座への参加者をお迎えする力と感動に満たされ、高揚した気分で閉講式を終わらせて頂きました。
軽く昼食を頂いた後は、疏開リトリートに続いて開催の第百三十八回ロンドン会座を準備し設えさせて頂く時間となりました。リトリート参加者は喜びをもってロンドン会座への参詣者をお迎えすることができました。前もって行われた勤行習礼で助言と指導を頂いていたお蔭で、ロンドン会座参加者は冒頭の御勤行を確信と感謝に満ちて勤めさせて頂くことができました。
お勤めの後「一光三尊佛」に関するプレゼンテーションを建心師がロンドン会座参加者のために繰り返されましたが、既に見ていた疏開参加者も、一光三尊佛の歴史と重要性について更に深く理解することができて、新しく見る人びとと同様に楽しく享受することができました。建心師のプレゼンテーションは、正行寺御住職竹原智明師の「歸命圓堂と一光三尊佛について」という玉稿の拝読というロンドン会座主要イヴェントへの完璧な導入部分となりました。ご院家さまのメッセージは、まもなく三輪精舎のニュースレターに発表される予定になっています。ご本寺においてやがて出来する法動や行事を知るためには非常に重要なものです。私たちは、正行寺のご法要の意味を熟考し、それが私たちの英国での生活とどのように関連しているかを考えるように指摘して頂きました。
竹原智明師の論文から、私たちは、今年の十一月十二日に正行寺で正行寺第三世冬扇法師の三百回忌が厳修されることと、その当時新鋳された梵鐘のことを学ばせて頂きました。疏開参加に先立ってこの論文を読んでくるように言われており、多くの人びとが「梵鐘は撞木で撞いて、聖なる音韻を響かせるものと理解されていますが、その本来的意味はインドの時代から、佛陀の声を招き入れ、耳を傾けるということでありましょう」という一文に特別な感動を覚えたことでした。梵鐘が鳴ると正行寺では人びとは立ち止まって合掌するのだと、私たちは聞かせて頂いています。私たちはまた、一光三尊佛の歴史とその最近の法動との関係について学ばせて頂きました。聖徳太子についてお聞かせ頂き、人が真実の法に触れることのできる方法を探索された聖徳太子が、遂にはその答えを得られ「行善の義もと帰依にあり」と宣言されたということを学ばせて頂きました。
竹原智明師のご高説を聞かせて頂いた後、英国在住の私たちは、現在正行寺で起こっていることの意義と、来る十一月に厳修される法要の重要性を、はるかによく理解することができるようになりました。ご院家さまの論説はまた、正行寺と三輪精舎の関係をもう一度思い起こさせてくださり、私たちがロンドンで佛法を聞かせて頂けるというこの事実は、全く正行寺の皆さまのお蔭であると気づかせて頂きました。
これに続いて佐藤顕明師が幾つもの質問に答えて、一光三尊佛の意義を更に詳しく説明してくださいました。一光三尊佛というのは、阿弥陀佛と勢至菩薩―智慧の菩薩―と観音菩薩―慈悲の菩薩―の三尊であるということを教えて頂きました。親鸞聖人はその師法然聖人を勢至菩薩と拝まれ、その妻を観音菩薩として拝まれていました。この週末を通して思い起こさせて頂いたように、無我という贈物を受け取らせて頂く方途は、佛さまへの帰依のほかにありませんと話され、顕明師は、建心師が彼の師であるご院家さまとの出会いによって仏さまの無縁の大悲に遭遇し、すべての我執が脱落したとき時のすばらしさをここでもう一度讃嘆されました。事実、一切を饒益し歓喜せしめた今週末の疏開と会座から発光する強いメッセージは、ただ「帰依佛」であると見えました。
顕明師の布衍の後、何人かの参詣者が感謝の言葉を披瀝、三輪精舎が暖かな歓迎を受けられる場であるという事実に感謝が述べられました。次には、ガーデン・オープ・デーをはじめ近未来に起こる諸行事についての説明があり、何時ものように寛いで話し合いをする時となり、すばらしい軽食を頂戴しました。
クリス・ドット記