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「共に前向きに」 - 第139回ロンドン会座報告

2018年6月17日に開かれたロンドン会座では、ほとんど20年にわたって三輪精舎僧伽のメンバーであり、現在は理事もして頂いている、アンドリュー・ウェブ氏が、「『物を言へ言へと仰せられ候』-私の僧伽での生活」という講題のお話をして下さいました。この記録の中で、彼の広範にして示唆に富んだ言葉を要約することは不可能ですので、興味があおりの方々は三輪精舎に要請して講話原稿全体を読むことをお勧めしたいと思います。しかしながら、以下の報告文で、僧伽の歴史において画期的な出来事となったこの日の会座の雰囲気と内容の一端をお伝えすることはできるかもしれません。

 

アンドリュー・ウェブ氏の講話の大要は、佐藤顕明師との出会いに焦点が絞られていました。アンドリューさんが顕明師に最初に出会った時、顕明師の決然たる次のお言葉に大きな感銘を受けたそうです。

「親鸞聖人にとってその師法然聖人は、『諸佛』の代表でした。親鸞聖人は法然聖人の南无阿弥陀仏の称名を聞いて、たちどころに阿弥陀佛に帰依されました。」

アンドリュー・ウェブ氏はご講話の中で、「人生で迷って前進できなくなったとき、師の言葉が彼に方向と光を与えてくれた」と、多くの事例を話してくれました。さらに彼は、「道」を見出したというばかりではなく、法動に参加することによって自分の世界の領域が大きく広がったということも話して下さいました。(2004年、)それまで英国の東海岸より東に旅したことはなかった彼が、より深い次元で佛法に出会うために、はるばる日本まで聴聞の為に旅をしたことについては、「近い親族と仕事場以外の人々とはほとんど接触がなかったのですが、私はこの部屋の四つの壁に囲まれながらも、今やはるかに大きな世界へ移住させて頂いた自分を実感しています」と話して下さいました。

 

アンドリュー・ウェブ氏が変わって行っていると思われた中で、最も大事なのは自性(セルフフッド)の境界の変化です。アンドリューさんは「ロンドン会座に出席することによって、私自身の自性感覚と私のなかにある他へ心を開くことへの執拗な抵抗が、すぐに解決すべき大きな問題となりました」と仰いました。顕明師から何か発言してくださいと言われる度に、アンドリューさんは大きな抵抗を感じその場から逃げ出したいと思ったそうです。それを知った顕明師は「佛法談合のとき、物を申さぬは信のなき故なり。我が心に巧み案じて申すべきように思へり」という『蓮如上人御一代記聞書』のお言葉を紹介されました。アンドリューさんはこの助言によって心が変わり始めたと言われました。自分の心を外の人たちにお話ししていくうちに、お同行は自分にとって菩薩であり、自分自身をありのままに見る手助けをして下さる方々であるという、浄土真宗の大事な教えをより深い次元で発見できるようになったそうです。しかし、今日のご講話のどこかで言われていたように、アンドリュー氏を究極的に前向きに歩ませてくれたのは、「(聴聞を勧める)顕明師の音韻のなかに、ただはいと答えるしかない、深い誠意を感得させて頂いた」からでした。このようにして、私たちロンドン会座の聴衆は、師弟の信が阿弥陀佛の大悲の信心で一つになっているのを目の当たりにしました。

 

お話に引き続き、お同行が所感を披瀝されました。先ず、筆者アンディ・バリットは、親友であり法兄でもあるアンドリューさんの「顕明師との出会い、浄土真宗のみ教えとの出会いが、自分の人生行路を永遠に変えた」という発言に言及させて頂き、「これは非常に感動的です」と申し上げました。なぜなら、普通私たちは変化に抵抗し、変化を避けようとするからです。佛法の変革の力を受け容れ、その力が自分の人生の全面に流れるようにするというのは、並々のことではありません。私アンディ・バリットは、アンドリューさんが僧伽のためにいろんな形で大変なはたらきをして下さっているということ、そしてそのアンドリューさんの力は、彼の信仰と、法の光に照らされて成長し変化する心の開放から出て来ていると感じたことを述べさせて頂きました。

 

沢山の人がアンドリューさんへの感謝を表現されました。その一人で会社の同僚であるパット・パル氏は「友人が落ち込んでいるとき、アンドリューは力の源ですし、歩むべき道を模索しているとき、彼は導きの源です。私達同僚はどうして彼はあれほど安らいでおれるのかとしばしば議論します。それは彼の信仰から来るのだと私たちは感じています」と言われました。司会の石井建心師は、このご友人の言葉への感謝を述べられ、「アンドリューさんの信仰が特別な‘宗教的瞬間’に限られたものでなく、彼の日常生活全体に溶け込んだ佛法であるということを証明していますね」と述べられました。プヌワニ・香織さんは、「アンドリューさんは、彼の先生である顕明師に対して、いつでも『お望みなら、私がやらせて頂きます』といって下さる人です。彼のはたらきなしには三輪精舎法動の活動を維持することは難しいでしょう」と付け加えられました。

 

三輪精舎住人のクリス・ドット氏は、アンドリューさんの講話に感謝を述べられ、「もしあなたがいなかったら、私はここにいないでしょう。なぜなら、あなたは何時も私を導き支え続けて下さったのですから。あなたが竹原智明師から受け取られた「善く来たね(善来)」というお言葉は、私にとって一切の要約です」とお礼を申されました。英国人の父親とビルマ系の母親をもつ女性は、「アンドリュー・ウェブ氏が『自分が受けたキリスト教の教育と父親のキリスト教信仰を今も大切に思いそれに感謝している』といわれたのを聞いて非常に感動した」とお礼を述べられました。石井建心師と佐藤博子さんは、その心情に共感し「亡きアンドリューさんのお父さんにお会いする機会は無かったけれども、アンドリューさんの感謝の思いを通して、今会わせて頂いているように感じる」と仰いました。

 

いろんな国籍の新しい参加者も、アンドリュー・ウェブ氏のお言葉に大きな感銘と激励を頂戴したとお礼申されました。ある男の人は「自分だけで実践するのは不可能です。自分の力だけではどうにもならない何かが自分の内にあるのです」と仰いました。また、座禅の会に出席しているキリスト教の方は「日本語でのお祈りや佛教儀式は(意味もわからず)快適ではありませんが、私は必ずここに帰ってくるでしょう。なぜなら、すべての事柄の背景に、形を超えた何かがあることがわかるからです」と仰いました。

 

お会座は、アンドリューさんの先生であり法友でもある顕明師の所感の披瀝で終りました。「『阿弥陀仏の愛は常に永遠に私を思ってくださっています。私達が参加の機会を頂く三輪精舎の法動は、本来すべてがこの(如来常住の)事実に気付かせて頂くためのおくりものです』というアンドリューさんの結論に、私は大きな感動を覚えました。そうですね、彼のいわれる通りです。如来さまは常に私たちと共におられます。僧伽の若いメンバーであるプヌワニ・リナさんは、最近『如来常住』というお言葉をOmnipresence of the Tathāgata(如来偏在)と英語に訳してくれました。私たちは佛さまを見ることはできないが、悲喜こもごもの生活をしながらも、常に『諸佛』―私たちの先生方やお同行―を通して、この偏在するお慈悲に気付かせて頂くことができるのです。竹原智明師の『善来』という歓迎のお言葉は、この僧伽の根底であり、彼岸からのお呼びかけです。共に前向きに歩ませて頂きましょう」と結ばれました。

 

南无阿弥陀仏 合掌

 

アンディ・バリット

 

2018年6月18日