佐藤博子さん葬儀報告
二〇一八年十二月十五日午前九時半、悲しくも数日前に亡くなられた佐藤博子夫人に敬意を表するため、沢山の人々がご葬儀に参詣下さいました。
お佛間はすぐ一杯になり、庭に設えられた会場もすぐに満席になるほど、沢山の方々の参詣でした。身を刺すような風の吹く寒い天候にも拘らず、すべての参列者が博子さんを敬い最後のお礼を述べたいとの思いで、決然と参列なさっていました。
ご葬儀は、三輪精舎の本坊である日本の正行寺からはるばるお出で下さった、竹原智明ご住職のご導師で厳修されました。ご葬儀は本当に厳粛なものでしたが、ご院家さまのお勤めは平安
にして静寂な雰囲気を創り出して下さいました。多くのお同行と近隣の方々の大いなる集いは、全てが一つになって博子さんへの真実の愛と感謝の雰囲気を醸し出し、そこに人びとに対する博子さんの自然な優しさと思いやりが、三輪精舎全体に現れているように見えました。勤行の間の鐘の音は、その場の安らかさと寂けさを増上していました。
勤行に続いて、ご院家さまよりご法話を賜りました。
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釈妙種善尼
佐藤博子さんを送る詞
佐藤博子さんは、二〇一八年十二月八日早朝、ここ「三輪精舎」から、彼女自身が精舎の内方として見守り続けたサンガの全ての御同行によって、お念佛の中、彼の西方浄土へと静かに旅
立たれました。
「三輪精舎」創立以来二十五年、私どもが互いにひたすらもとめてきた大乗佛教である浄土真宗は、一言で言えば「用く佛教」であります。
生活しつつ学び、語り合いながら思索してきました。それは佛さまの用きのただ中に入れていただくことを目的としています。
博子さんは、そこを「今、ここに」という鮮やかな体験を以て、佛様が用いてくださる如来の現場を正確に突き止められました。
しかもそれは、場所の隔たりのない、あらゆる所、時間の隔たりもない、いかなる時にも、如来様に出会うことができるという内容であります。
博子さんは、正行寺にとってもかつてなかった重要な法要、つまり正行寺に初めて梵鐘を建立し、佛さまの声を迎え入れた三百年前の住持・冬扇法師の偉業を顕彰する記念の法要が勤めら
れましたが、そこに参加することをひたすら待ち望んでいました。
その時、正行寺では日本最初の根本佛とされる「一光三尊佛」をお迎えすることができ、また韓国からは聖徳太子の時代と同じく、「弥勒佛」を迎えることとなりました。
弥勒佛は、日本における国宝第一号として聖徳太子の御徳を称えるために、当時、先進の佛教国であった韓国から日本に送られ、今も京都の広隆寺に安置されています。この度も韓国の
頂宇尊師によって、かつての経緯を再現するような慶事が実現しました。
この重要な意味をもつ法要に参席できるように、前半は顕明師、後半は入れ替わって博子さんが参加することになっていましたが、予想もしなかった博子さんの突然の発病によって、博子
さんはその願いが適いませんでした。
法要の前後には、長年にわたってお寺を支えてくださった先達方が、相次いでお浄土に旅立っていかれました。大地から湧き出たような帰命圓堂の軒のシルエットを譬えて、ある人が、
大きな白鳥が羽を広げて着地するような姿だと表現しました。しかし、同時にたくさんの鳥たちが急いで浄土へ向かって飛び去っていく光景を目撃しなければなりませんでした。
お同行の多くは高齢でありますので、皆安らかな、往生でありましたが、未だに現役の博子さんは、誰にとっても思いもよらぬ事で、ロンドンはもちろん、正行寺のサンガ全体に大きな衝撃を与えました。しかしそれと同時に、彼女が曽てなかった大きな足跡を残して下さってい
ることに、日英の同行すべてが改めて目覚めました。即ち大きく、強固な念佛の柱がサンガに打ち立てられたのです。
顕明師の導きに応じて、三輪精舎を根柢から支えてくださったホワイト先生が、勢至菩薩の姿とすれば、正しく博子さんの不断の精進は、観音菩薩の姿と見えました。
ホワイト先生が三十一年前に正行寺においでになったときは、最愛のクセニア夫人を失われた直後でありました。その時の悲しみのお姿は忘れることをできませんが、博子さんの往生に対して、あの時と変わらぬ悲しみ、そして先生の後半生の全てが籠められた共感の涙を、博子さんへとそそいで下さいました。
博子さんは文字通り、多屋の内方として中心的存在でありました。佛法の真実は、その真実を受け取る人の心の中に再生してくるものであります。
再生してくるその本源は、私どもの眼では見ることのできない世界からであります。
私どもはその本源へ、一足先に逝かれたクセニア夫人の温かい見守りの目を常に感じてきました。
二〇一二年一月二十七日、ジョン・ホワイト教授が来寺された折、故クセニア夫人の遺影を飾り追悼法要をいたしました。
この時、先生は静かに追悼の合唱曲をお聴きになり、一言のコメントもされなかったことが深く印象的にのこりました。先生が御夫人へ捧げられたあの姿を忘れることができません。
我々が博子さんを送る時に至り、ホワイト先生が夫人へささげられた献詩の中に、今日まで支えてくださった先生の心の背景を、今この中から読み取ることができます。
君が逝ってしまって
もう久しくなる
でも、うれしい
今なお、君を愛せることは
なに一つ
悔いることがないのだから
博子さんは、一昨年十二月、私の要請を受けてフランスのプラム・ヴィレジを尋ねて、瞑想の修練と供養の旅を予想もしない素晴らしい成果をもって、精舎に戻ってきて下さいました。
私は、浄土真宗は、大乗佛教の極果と信じてきましたが、その基礎を支えてきた伝統佛教の歩みをも貫いてこそ、報謝の念佛を確かに実現できると思って来ました。
修練が終わりに近づいた時、博子さんは奇跡的な体感をされます。
日本のものと似た梵鐘があることに気づき、鐘楼の梵鐘の四方に刻まれた漢字を発見し、正行寺で念佛を聞かせてもらった宿善のすべてが、菩薩の名前として、実在したサンガの善知識の
名が連ねられていました。
南無大行普賢菩薩
南無大悲観世音菩薩
南無大智文殊師利菩薩
南無大願地蔵王菩薩
正行寺で念佛を伝えてくださった善知識の名前が、そこに完全に実在の名として現れていました。その名を拝見したとき、博子さんは涙とともにお念佛が溢れ出ました。
地球の何処にあろうとも、常に「今、ここに」真実如来の用きを確かめることができました。
それは一期一会の出会いだと思っていたでき事が、それ以降、不思議な展開を始め、一年後には要請した訳では無いのに、プラム・ヴィレッジ僧院長・ブラザー・ファップ・フー師を先
頭に、四名の御僧分が正行寺を遙々尋ねてこられました。
それも、我が正行寺サンガの原点中の原点、先師・大行院様と大悲院恵契さまが佛々相念される名号笠塔婆、法母の灯籠を恭敬の心を以て、瞑想しつつ右繞されました。
この時、奇しくも子息・圓明師が、母上と同じく「佛のはたらき」を体得しました。まさに母子相呼応するでき事であり、奇跡と思えることが、現実となって再現されたのです。
一昨年十二月三日、博子さんがプラム・ヴィレッジから、三輪精舎にたどり着いた数時間あとに、顕明師の里坊・宝蓮寺のご住職が往生されました。博子さんの体験は、遠くから見守ってくださっていた義兄上の大いなる満足の証しと想われます。
博子さんは、病室でどなたにお会いしても「ただ念佛のみ」、そして「思い残す事はありません。ただ感謝のみです」との揺るぎないお姿であったことを、病室に見舞った坊守から聞きま
したが、それはこのロンドン念佛サンガに建立された生きた名号塔でありました。
看病に駆けつけた顕明師、圓明師姉弟、建心師、正行寺坊守が見守る中、正念の中で称えられた枕経は、折から、私が出向していた佐藤家の故郷の寺・宝蓮寺謙順兄上の三回忌法要の読
経と奇しくも同時刻となりました。博子さんは、所を遠く隔てた里坊の同行の証誠の念佛を病床で聞き、そのことをひたすら喜ばれました。念佛が時と場所を超えて、私どもの心を動かすということの、これほど確かな証しはありません。
万物は相依相対の関係存在であるというのが佛教の根本理念であります。
したがって万物は一体であるということであります。
あなたと私はふたつではない。山も、河も、草も、木も、ふたつではない。この国とあの国もふたつではない。そして、この世界中のすべてが、いわばひとつの花であります。
サンガでこの想いに立つ時、お同行のお一人お一人が、ああ、ここにいらしたのか、という発見の連続となります。一木の花が開き、あっという間に満山に桜が開花する、素晴らしい景色
に遇わせていただきます。サンガに「用く佛」ありという実証は、ここに現れています。現し身はどこまでも恋しいものですが、博子さんは何一つ悔いるものをのこさないことを教えて御
浄土にかえられました。御浄土は何にも障えられずに働ける場であると習っています。
その功徳は、今暫く娑婆に在る私どもにも、あすからもその楽しみの功徳をプレゼントしつづけてくださることを確信してやみません。浄土なる博子さん 今後とも照覧し続けてください。
二〇一八年十二月十五日
正行寺サンガ 竹原智明
南無阿弥陀佛 々々々
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ご院家さまの素晴らしいご法話の後、ジョン・ホワイト教授が弔辞を述べられました。ホワイト教授はその中で、過去二十五年のロンドン滞在期間、夫である顕明師に対する彼女の手助けがなかったら、私たちの知る今の三輪精舎はあり得なかったであろうし、おそらく存在さえしていなかったかもしてないということに気づかせて下さいました。
そして、病院の博子さんを訪ねられる前に、ご自身が博子さんのために詠まれた俳句を引用して、その話を終えられました。
君ゆきたまふ
かくも疾く
お浄土を
身に携えて
すべての愛に
つつまれて
続いて、佐藤博子さんの夫であり三輪精舎主管である顕明師が立たれ、博子さんは、ご自身が望んでいた通り、安らかに寂かに、お同行の純粋な愛に包まれて、その生涯を閉じることができましたと、謝辞を述べられました。博子さんは臨末の床にあって訪問者の方々に、「とても楽しかった」、「大満足」、「思い残すことは何もありません」、「皆さんのご恩に心より感謝しています」、「私はお念佛の中に生き続けます、皆さんと一緒にいつまでもお念佛の中に生き続けます」と繰り返し話されたそうです。顕明師は、博子さんへ差し伸べられたすべての方々の親切心に対して、特に遥々日本からお出で下さったご院家さま、坊守さま、慶明師の大悲顕現に
対して、そしてまたジョン・ホワイト教授には、博子さんと三輪精舎に頂戴したすべてのご恩徳に対して、心から感謝の言葉を述べられました。最後に、博子さんに特別な法名を賜ったこ
とをご院家さまに改めて感謝され、その法名を頂かれた博子さんがお浄土でどれほど喜んでいることでしょうと甚深の謝辞を述べられました。
顕明師の謝辞に引き続いて勤行。その間に全ての参列者が敬いの心を捧げ、博子さんに被ったご恩徳に感謝しながら、お焼香の儀に参加させて頂きました。
出棺の前には、参列舎全員が尊敬と感謝の心をもって、博子さんの御棺の中にお花を供えさせて頂き、最後のお礼とお別れを言うことができました。
博子さんは、最後の二十四年間、顕明師を助けて三輪精舎僧伽の発展に尽され、紛れもなく「佛法の種」を僧伽のみんなの中に植え付けて下さいました。博子さんは、私達のために佛さまの教えを甦らせ意味を与えて下さいましたし、今もなおそうして下さっています。そして訪問者全てに対して示された、その優しさと無条件な歓迎は、いつまでも三輪精舎全体にこだまし続けることでしょう。
竹原智明ご住職と顕明師が私たちに教えて下さったように、博子さんはいつまでも私たちと一緒にお念佛の中にあり、いつまでも私たちを照らし続け、私たちのお浄土への道中を導いて下さることでしょう。
南無阿弥陀佛 (クリス・ドット記)
2018年12月