「為すべきは為された」第154回ロンドン会座
例年のように日英和解の儀式を兼ねた九月のロンドン会座が、未だ世界的に続くコロナ禍のためにオンラインで開催されました。ニューヨーク真宗僧伽の名倉幹師とその他二人の北米からの参加者も含めて、約三十人が共に勤行し、佐藤顕明師のご法話を拝聴、活発な話し合いがもたれました。
『ホワイト先生の最初の正行寺講話』と題した顕明師のご法話は、『為すべきは為された』というタイトルで最近開設されたジョン・ホワイト教授の千五百余の詩が掲載されたウェブサイト、そして、同教授が過去二十八年間続けられた正行寺での講話が掲載されるウェブサイトの創設に刺激されて出て来たものでした。これまで聞法してきた多くの者にとって、ホワイト先生が正行寺のために為し遂げられた莫大なお働きを知るのは始めての事でした。その数多なご貢献の中には、三輪精舎の創建、禅ガーデンの創造、薩長留学生と彼らのお世話をされたウィリアムソン教授ご夫妻の記念碑建立、日英和解運動、ブルックウッド墓地の名号廟塔建立、ホワイト先生のお言葉で言えば「日英間の相互理解の促進」を目指した俳句集の出版等々、先生の献身的な関与が含まれています。顕明師はホワイト先生のご尽力に対してご自身の深い感謝の念を表明すると共に、親友であるホワイト先生のお働きの根底にある甚深なるお心を、お同行に理解して欲しいという祈りにも似た気持ちを表明されながら、ホワイト先生が竹原智明師とご門弟に最初に出会って以来、西洋美術史の分野で世界的に有名な学者である自らの経歴は捨て置いて、三輪精舎設立と発展を革新的に推し進めるために、その後の二十八年のご生涯すべてを捧げて下さったと指摘されました。
顕明師はまた、ホワイト先生が最初の講話をなさった時、ホワイト先生のご院家さまとの出会いは、『ごおん』誌において「佛佛相念の如くであった」と報告されていたことを取り上げられました。顕明師は、「ホワイト先生の心はその時すでに佛法の真実を受け取るに充分なほど成熟していたに違いありません」と仰いました。和訳のためにホワイト先生の最初の講話を再読して、顕明師はその内容に驚愕驚嘆されたそうです。「それは、ホワイト先生があの最初の講話で話されたことは、三輪精舎サンガという素晴らしい形となって、今や完全に実現されているからです。現実的なものであれ精神的なものであれ、私たちが今僧伽から受け取っているあらゆる利益と恩恵は、あの最初のご講話に事実予告されており、その兆候が二十八年前のあのご講話に隠されていたのを垣間見ることができます」と続けられました。
「純粋な信仰のあなた方と 何事にも確信のない私が ただ一つの道を旅します」というホワイト先生の最初の講話に記された詩がどう聞こえたかを述懐された顕明師は、「その詩は自らの人生をその同じ道を行く友人に任せる力を与えてくれました」と仰いました。また顕明師は、「ホワイト先生は単にすばらしい善友というだけではなく、同時に、言葉を超え、形を超えて、不可稱不可説不可思議なる究極的真理(法性法身)の菩薩としての顕現であったと解らせて頂いた。上記の詩に見られるホワイト先生の静かな決意は、自利利他の祈り、別の言い方をするならば、自らを愛するように他を愛せんとする、菩薩の誓願の表明の如くに聞こえます。その誓願は過去二十八年間で見事に成就されています」と仰いました。
そして顕明師はホワイト先生がお同行ために極めて明瞭に説かれたと思う特別な二点を強調されました。一点目は、『阿弥陀佛、他者性と超越』と題された最後の講話において、ホワイト先生ご自身が「『他者性』という言葉は、ただあなたの心に飛び込んでくるものが何であろうと、どんな種類のあるいはどんな特質のものであろうと、佛はそれとは違います。なぜなら、佛はあなたの考え得るいかなるものとも違うからです」と仰ったその「他者性」ということの重要性です。それを強調されながら、「一西洋人の佛法への鋭い洞察がこの肝心の一点を掘り出したというか、抉り出したというのは、本当に驚嘆すべきことです」と述べられました。二点目は、「為すべきは為された」というホワイト先生のお言葉です。仏教的文脈では、「これは、自利利他のために『行為のために行為する』菩薩の純粋な行為に当たるものです。本願成就とは、為すべきすべては為し遂げられたという意味です。『為すべきは為された』という先生のお言葉には甚深の意味が籠められています」と説明されました。「ホワイト先生が最初の正行寺講話で話されたことは、すべて奇跡的に為し遂げられています」と溢れんばかりの感謝を以ってお礼の言葉とされました。
ご法話後、ロンドン正行寺トラストの理事数名がお礼に立たれました。モンゴメリー氏は、「ジョンと知り合えて非常に幸運だったと感じています。彼は、最後の時を迎えるまでは決して活動をやめない人です」と。永瀬教授もまたホワイト先生の友情と垂範に対して感謝の意を表わされ、「常に行為のために行為し絶えず精進しておられる先生を心から尊敬している」と仰いました。クレリン悦子さんは「年々より深く先生を理解できるようになって、先生のご貢献に深く感謝申し上げている」と仰り、アンドリュー・ウェブ氏は「ホワイト先生の『慎重な決断』から沢山のことを学ばせて頂いた」と述べられました。司会の石井建心師は「ホワイト先生の先見の明は、単に二、三年のことではなく、次の五十年、百年のことです。それは、未来の人びとが三輪精舎僧伽を精神的に活き活きと保っていくという先生の確信であり、私たちの歩むべき道を示してくれています」と付言されました。
ニューヨーク真宗僧伽の名倉幹師は、最近の三輪精舎参詣についてお礼を述べられ、「阿弥陀佛に導かれている本当の僧伽に出会って非常に感動しました。顕明師の法話を聞きホワイト先生の生きざまを思い、『後生の一大事』を決することの重要性を思うに至りました」と仰いました。
建心師は、「ホワイト先生の偉大な人生とそのお働きに感謝し、讃嘆できることは私たちにとって素晴らしいことですが、顕明師のご法話には重要な三点があります」と述べられました。それ第一に、ご院家さまとホワイト先生の出会いに見られるような、『本来的出会い』の重要性です。二つには、ホワイト先生が自らの経歴と名声を投げ捨てて正行寺で出会った真実に捧げ尽くされた事実に見られるように、他者によってなされたご恩徳に気付くということです。第三には、行ということの本質を理解することです。この点について、ある時「真宗の行とは何ですか」という一人の聴衆の問いに対して、顕明師は「特別なことは何もありません。しかし一瞬一瞬、すべての瞬間が行です」と返答されたことを紹介されました。
また建心師は、外出中に動けなくなったとホワイト先生からお電話があった最近の出来事について話されました。ホワイト先生を探しに出かけた時、建心師の心は恐怖と不安で一杯でした。しかしながら、遂にホワイト先生を見つけたとき、ホワイト先生は静かに「ああ、建心、ここに居たか」と仰り、その瞬間に建心師の心は安らかになったそうです。建心師は「今日のご法話を拝聴し、ホワイト先生を失うことの恐れから先生の存在ばかりに執着し、先生の背後にある大きな永遠のお用きに盲目になっていた自分が照らされ、あの日私が先生を探していたようで、実は先生に探し出して頂いていたのだと気付かされました。ホワイト先生と阿弥陀様は私の心が安らかであることを願い続けて下さっていました。誰かと離別する時、悲しみは感じるけれども、見えない用きに気づくことで、いつでもどなたに対しても、ありがとう、さようならを言える心の準備が必要であることを教えて頂きました」と仰いました。建心師は最後に、「言葉に表し難いこの気付きが、
この庭で
浄土建てつつ
彌陀の待つ ―三輪精舎―
というホワイト先生の俳句に見事に表現されています」と添えられました。
去年ご尊父様を百歳で亡くされたジュディ・パタソン姉は、建心師のお言葉に感動して涙しながら「建心師が言われたことは、私にとって非常に大切なことでした。本当に嬉しいです。ホワイト先生が最後のご講話で仰ったこと、特に『無知は発見の扉を開くことができます』というお言葉によって、本当に真実の出会いがいかなるものかを理解させて頂くことができました」とお礼を述べられました。
この会合を閉じるに当たって顕明師は、「究極的真理は私たちの内にあって私たちを超えている」という大拙先生のお言葉に再度言及されました。そして「もしあなた方が佛さまを外に追い求めるならば、佛さまに会うことはできません。内に帰り、深く内省し、同時に超えて行くのです。そうすれば、あなた方は一切と一つになれるでしょう。ホワイト先生が「自分は佛教徒ではない」と言っても言わなくても、私は構いません。ホワイト先生は菩薩です。私たちの内に超えてある真理の応現です。すべての人間の背後にある佛性は、私たちの内に、私たちを超えてあるのです。ホワイト先生を見て下さい、そうすればあなたはすべてを理解するでしょう。私が言いたいことの真髄は、ホワイト先生の最初のご講話に出ていたこの俳句に見出せます」と仰って、最後にこの句を引かれました。
一片の
すべてを語る
落葉かな
アンディ・バリット記