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第158回ロンドン会座報告

第158回ロンドン会座は、六月二十六日(日曜日)に開催されました。三輪精舎の最近の行事の殆どがそうであるのように、参詣の方々はみずからお佛間に集まることもオンラインで参加することもできました。悲しくも、お会座の直前の六月十五日に、大事なお同行であり三輪精舎住人でもあった青木美歌さんが亡くなられました。ですから、お会座では美歌さんの追悼勤行が勤められ、お同行にとっては、自らの感想や追憶を語る機会ともなりました。

ご院家さまのご法話の講題は、「欲心は禍の元-ロシアのウクライナへの侵攻-」でした。ご講題で解かるように、それはウクライナ戦争の現状のもたらす衝撃と悲嘆と憂慮から発現したご法話でした。ご院家さまは、何が起こっているかを理解するために、蓮如上人の『御文』全体を読み始められ、遂には「つみのもとは欲心なり」という五体に響きわたる一節に出会われました。

ご院家さまは続いて聖徳太子の「十七条憲法」を思ったと仰いました。2021年春の三輪精舎疏開リトリートのテーマとして聖徳太子のお言葉について考えましたので、僧伽の多くの人々が少なくとも太子のことは知っていました。しかしながら、ご院家さまはご法話において「十七条憲法」を注意深く読み解かれて、それが私たちの日常生活に結び付くところまで解明して下さり、聖徳太子の「十七条憲法」の欲心への警告を示し、そしてその欲心は怒りになり、それはやがて殺生・偸盗・邪婬と進むところまで明示して下さいました。勿論、このご講話の内容は、それがウクライナの現状に深く関係していることを私たちに示して下さっています。

ご院家さまは更にオランダの哲学者スピノザの言「ただ一つだけ光を当てなくても見えるものがある。それが光である。光はそれを照らす光を必要としない。光は光だけで自らをあらわすことができる」を引用なさいました。ご院家さまは、このような考え方は、佛教徒が二千五百年ものあいだ実践してきた超二元的真実に相当するものであると仰いました。つまり、阿弥陀の光明は常に明も闇も包んでいるのです。ご院家さまは、私たち人間が真実を見出すには、自らの内へ内へと進む道があるのだと仰いました。

ご院家さまはその感動的なお話を「今こそ聖徳太子の和の大本に帰り、西欧東欧の区別も、東西の障壁をも越えて、一味の世界の建立へと智慧を絞る好機と心得ます」と結ばれました。

ご法話の後、司会のアンドリューさんが最初に発言され、ウクライナ情勢への自然な反応には、単純だが極端でもある二種の反応が見られると言われました。一つは、それをひどく悲しみ瞋りに満ちるもの、もう一つは、まったく無視することによって愚かな無明の人生を生き続けるものですが、アンドリューさんは、ご院家さまのご法話は、このような二種の極端な生き方よりも、遥かに勝れた健康的な道があることを示して下さったと感じますと言われました。

次にはアンディさんが発言され、ご法話は竹原智明師の平和への願いの澄み切った表白であると感じましたと言われました。そして、これは三輪精舎の建立に大きな役割を果たした平和への願望と同一の祈りですと述べられました。アンディさんは更に続けて、もし三輪精舎の建立が無かったとしたら、僧伽のほとんどの人は青木美歌さんに会えていなかったでしょうと言い、だからこそ、私にはご院家さまさんのご法話と美歌さんの追悼会が一つに感じられますと仰いました。

次にはサム・ケリーさんが話され ご院家さまのご法話を聞かせて頂く好機に恵まれ、私たちがみんな貪欲なる欲心に焼き尽くされていることを知らせて頂いて、心の底から感謝していますと仰いました。サムさんはまた、人間には強引な指導者達を過信する傾向があり、本当はそういう人たちに対してもっと注意深くなる必要があると言われました。

次に私(クリストファー)からは、このような重要なご法話を聞く好機をたまわったことに対して、三輪精舎の方々に自らの感謝を述べさせて頂きました。ウクライナの戦争についてほんの少し違った考え方をすることによって、この戦争が人間の欲望によって起きていると見ることが出来るという見解に、私は大きな関心を覚えました。私は最近特に私の事務所の状況について考えていました。事務所では会社の上司の一人が - 一人の人間が生涯かけても使い切れないようなほどのお金を持っている極めて裕福な人 - これからする商取引のためにこれまでよりも沢山の税金を払わねばならないことについて段々怒り始めているのです。私は彼のような地位にある人がなお一層お金を貪るのを見て衝撃を受けました。しかしながら、このことを思い出しながら、ご院家さまの聖徳太子十七条憲法からの引用を聞かせて頂いたのでした。

 

 我は必ず聖に非ず 彼は必ず愚に非ず

 共に是れ凡夫なるのみ

 是非の理 たれか能く定むべけん

 相い共に賢愚なること 鐶の端なきが如し

私は、これは直接私に話しかけて下さっているのだと感じました。なぜなら、私はその貪欲な同僚を、私の方が少しましだと思いながら、見下していたのですから。しかし、私には沢山のさまざまな欲望があって、決して彼よりも善いということはありません。私は聖徳太子がご院家さまのご法話を通して「他の人より善いと思わないように気をつけなさいよ。なぜなら、そうではないのだからね」と忠告して下さっているのだと感じました。ご法話の中でも仰っていたように、このお言葉は私の心の内奥に深く響き渡りました。

次に、プヌワニ香織さんが、ご法話は三輪精舎建立時の「和(異質の調和)」に深く関係していると感じさせて頂いたと話されました。香織さんは、ご法話は美歌さんがその芸術作品を通して美しいエネルギーを表現されたことと何か共鳴しているように感じられたと述べられました。司会のアンドリューさんが是に賛意を表わし、ご法話は、「和(異質の調和)」が単なる言葉ではなく、私たちみんなが思い出さねばならない重要な教えであることを思い出させて下さったと述べられました。

鈴木佳さんはご法話を拝聴できることについて三輪精舎に感謝され、お会座に先立て母国語の日本文でも読むことが出来て幸運だったと言われました。ご法話を聞かせて頂いた後、ご自身の生涯の多くの行為は欲望に駆りたてられたものだったということを理解できたと言われました。更に佳さんは、自分の欲望が過剰になると、それは自分自身と周りの人びとに問題を起こすばかりでなく、自らの人生の些細なことも貪欲さから発って来ていたことに気付かせて頂いたと披瀝されました。佳さんはまた、ご法話を聞く前は、戦争はまったく信じられない出来事だと感じていたが、今は彼女が自分自身の内に持っているそのような欲望と実際に関係していると解からせて頂いたと言われました。

クリス・ドットさんは、顕明さんの翻訳の労を多としながら、自らの所感を述べられました。ご法話は、和ということが大切なこと、そして私たちはみんな繋がっていることを思い出させて下さった、しかし私たちは日々の生活においてそれを忘れてしまっていると仰いました。これに続いてクリスさんは、ご法話において聖徳太子のお言葉を引用された中で「賢(さか) しき人にあえば、自ずから豊かになる」というお言葉に大きな感動を覚えたと述べられました。クリスさんは、これは自分には僧伽を説明する言葉だと感じられたと言われました。僧伽においては、佛法を受け取ることができますし、世の中には悪いことが沢山在るけれども、佛教こそは三輪精舎で経験させて頂く善の基盤ですと言われました。クリスさんは更に、佛さまの光は常にあるのですが、このご法話のようなお話を聞くことによってのみ、その光に気付くことができると感じますと仰いました。

現在コロナに罹っているにも拘らずオンラインで参加下さったデヴィッド・アルダーさんは、ご法話を大いに享受させて頂いたということと、それは佛法の実践を励まして下さるお話しだったとお礼を述べられました。デーヴィッドさんは、最近はご院家さまのご法話にも出てきた『御文』の拝読に没頭させて頂いていますので、ご法話には特別な激励を受けましたと甚深のお礼を言上されました。

建心さんは、私たちのご院家さまのご法話に対する所感の後、青木美歌さんの美しい芸術作品と彼女の思い出の影像を映し出してくれました。建心さんは、彼女の美しい詩を共有するところか始められました。その後で、周りの人びとから既に頂戴しているものが見えていなければ、私たちにとって足ることを知ることは非常に難しいということに言及なさった上で、何年も前に美歌さんが三輪精舎を訪れ『父母恩重経』を聞かれ時に、既に沢山のものを頂戴していたことを理解され、それが彼女に大きな喜びを与え、その喜びを芸術作品を通してわかち合いたいと思われたのですと説明なさいました。建心さんは、美歌さんの心は非常に静かであり、声高にあからさまに話すようなところは無く、三輪精舎の生活で学んだことを真摯に実践し、受け取った光の輝きといのちの尊さを彼女の芸術を通して表現されたと言われました。彼女の芸術媒体はガラス工芸であり、建心さんは彼女の沢山の魅力的作品を映し出して下さいました。佛さまの光が彼女の素晴らしい作品を通して輝き出ているのがはっきり見えました。

勿論多くのお同行が美歌さんについて話しました。アンディ・バリットさんは、美歌さんのご往生に衝撃を受け狼狽したと言われました。彼女の作品には常に素晴らしい広がりがあり、常に光が彼女の作品を貫いていたと話されました。また、彼女は常に積極的であったと話し、その一例として、彼女の作品は自然を美しく表現するばかりで、自然の中にある”残酷な”面を捉えていないという批判があったとき、彼女は、私の作品は自然の標本ではなく、「瞑想空間の創造です」と応えられたという話をしてくれました。

サム・ケリーさんは、彼女を特別な芸術家であり特別な人だったと評されました。プヌワニ香織さんは、受けた衝撃を語り、美歌さんのご逝去を聴いて未だ気が顛倒していると言われました。香織さんは、三輪精舎で一緒に暮らし始めた時以来よく知っていたし、彼女の作品は非常に綺麗で、見かけからは殆ど隠れている深いエネルギーを表現していると話されました。鈴木佳さんは、美歌さんとは親友だったので、このニュースを聞いて以来衝撃を受け、悲嘆していると言われました。しかしながら、美歌さんは私たちが前向きに進み彼女の素晴らしい人生を祝福することを望んでいるという建心さんのお言葉によって、美歌さんのして下さったことに感謝する気持ちにさせて頂いたと言われました。クリス・ドットさんは、美歌さんは素晴らしい優しい方だったと話され、彼女のご逝去は悲しい喪失であると言われました。しかしながら、クリスさんは、美歌さんと博子さんとホワイト先生が既にお浄土におられることを知らせて頂いているので、みずからの死に対する恐怖はほとんどありませんと仰いました。

建心さんは、人生で佛法を経験された青木美歌さん自身の喜びを思い出して元気を頂戴したと結ばれました。かならずや美歌さんは今博子さんとホワイト先生と一緒にお浄土におられますと仰いました。建心さんは、三輪精舎はこういう人々の実践の喜びから生まれたということ、今ここにいる私たちはその喜びを思い出し、三輪精舎の創立者たちと同じ心の喜びをもって前進すべきことを思い出さねばならないと私たちを激励して下さいました。

次に顕明さんが美歌さんのことを話されました。美歌さんが最初に三輪精舎で生活したいとお願いしてこられた時、博子さんは「三輪精舎で暮らすというのは佛教の実践をしなければならないということだから、決して容易ではありませんよ」とやんわりとお断りのメールを書いたのですが、美歌さんは「そうであれば、私はなおさら三輪精舎で生活させて頂きたいです」と返事をして来られました。このようにして美歌さんは確かに非常に貴重ないのちの尊さに目覚められたのでしたと話して下さいました。

次に顕明さんは、私たちすべてに、必ずや解かるのだから、ご院家さまのご法話を繰り返し繰り返しゆっくり注意深く拝読するように勧めて下さり、ご法話のお言葉の中に自分を発見するように努力すべきだと話されました。顕明さんは、私たちはご法話の行間に宝を発見するだろうと言われました。顕明さんは、ウクライナ戦争は私たちから遠く離れた問題ではなくて、私たちに直接関係している問題であることを思い出させて下さいました。もし私たち自身の問題を注意深く省みるならば、私たちは自分が貪欲で怒りっぽく無知であるという事実へと導かれ、もし私たちが佛さまの教えに照らしてこれを自覚するならば、私たちは謙虚になり感謝することになるでしょうと言われました。顕明さんは、すべてのいのちは貴重であり重要であるということを私たちに思い出させてくれました。顕明さんは、もし佛さまに帰依すれば、私たちの心は柔軟になり、他の人たちと一つになり、そこには思いがけぬ喜びがありますと結論されました。

このお会座は、どこどこまでも色々な意味で私たちの心を鼓舞してくれるもので、私に取りましては、私自身の欲心に対して私がどれほど無知であるか、時機相応にそれを思い出させて頂く強力なご縁でした。自らと周りの人びとに苦悩をもたらす貪瞋癡ばかりの私は、他者を指差して悪いところを非難することの無いように気をつけねばならないことを思い出させて頂きました。ご院家さまのご法話は無二の宝でございます。顕明さんの助言に従って、何度も何度も注意深く繰り返し拝読させて頂きたいと思います。

残念ながら、私が三輪精舎僧伽に加わった時には、美歌さんは最早三輪精舎の住人ではなかったので、私には美歌さんと知り合いになる機会はございませんでした。しかしながら、他の方々が彼女について話されるのを聞き、彼女の美しい芸術作品を拝見してからは、彼女がどれほど特別な精神性を持つ人物であったかを感得できたように感じています。ご院家さまのご法話のお言葉と共に、佛さまのみ光の下僧伽で前向きに進むように、私たちの道を照らし激励下さる心の灯火のようです。

クリストファー・ダックスベリー