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第25回疏開リトリート報告

第25回疏開リトリートは、疫病のためにオンラインで開催されたので、その形はこれまでのリトリートとはまったく異なっていました。しかしながら、すべての参加者の内省と交流の深さには、私たちが皆三輪精舎のお仏間に集まっているのと同様な深遠さがあったことをご報告できる事をありがたく思っております。この疏開リトリートは、2020年4月25日と26日の週末の三座に亘って開催され、合計19人がインターネットを通して参加致しました。

『正信偈』読誦の開講式勤行が顕明師と建心師と早苗さんの三人によって三輪精舎の御仏間で勤められ、参加者はそれぞれの家からお参りさせて頂きました。地理的には遠く離れていたにも拘らず、みんなが一緒に佛さまにお参りさせて頂くことによって、三輪精舎の御仏壇の前で皆が一つにならせて頂いたように感じました。

参加者は疏開リトリートの前に、この社会的懸隔と孤立の期間は一人ひとりが「内に帰らせて頂く好機です」というご院家さまのご助言を胸に、「私が最近感じていること」について考えるという課題を与えられました。開講式直後の最初のオンライン座談会では、私たちはそれぞれの宿題の発表を聞かせてもらいました。疫病蔓延の結果、国が封鎖されて以来何を感じてきたか、すべての参加者が最近感じていることについて、それぞれに独特の所感を開陳しました。

参加者が述べた思いや感情は、恐怖や怒りや悲嘆などから、感謝や幸福感に至るまで広範囲にわたっていました。身近な家族や友人に対する心配や社会的孤立が私たちの生活に及ぼす影響が話し合われました。ある参加者は、日常生活の問題や抑圧に巻き込まれると「いつもの信心がいとも簡単に消え去ってしまう」と述べた後、「しかし、心を曇らせているのはただ私の煩悩であり、私には帰依すべき三宝、真実に連れ戻してくれる三宝があることを知っています」と言われました。

もう一人のお同行は、ご自身が正行寺と三輪精舎で受け取った教えは、彼女に人生の方向を示してくれる最も重要な源であると語り、「いかに困難であろうとも、私が自分自身を振り返ることが出来るのは、ただただ佛法を受け取らせて頂いたからです」と感謝の心を披瀝されました。

顕明師の法話は三つの部分からなっていました。蓮如上人の『疫癘の御文』の英訳と解説、正行寺のご院家さまの特別なお手紙の拝読、そしてそのお手紙について顕明師ご自身の領解の三部です。

蓮如上人の『疫癘の御文』についての顕明師の解説は、「真宗門徒の死に対する態度」という題名で、日本が大変深刻な疫病に襲われ、沢山の人々が死亡した1492年に書かれたこの『御文』の肝要な点をおよそ次のように説明して下さっています。多くの人々は、疫病の蔓延は悪霊や悪氣のせいだとし、疫病の原因について非常に迷信的でした。この『御文』において蓮如上人は無常の真実に目覚めるよう皆を励まされました。病気は、必然的な死へと導く避けがたい業因の一つに過ぎません。

顕明師は次に、蓮如上人はこの『御文』の第二節において、無常に直面している私たちに対し、「阿弥陀仏にすべてをお任せし、阿弥陀仏のご恩徳に対して感謝の思いをもって生きて行くべきである」と教えて下さっていると解説されました。私たちは、顕明師のお話しを聞くことによって、この世のこのようなウイルス渦と、常に存在する死の危険に直面しながら、私たちが本当に永遠な心の安らぎを見出すことができるのは、ただ阿弥陀佛をたのむことによってだけであると、強く感じさせて頂きました。

蓮如上人とは五百年の時の隔たりがあるけれども、「コロナ・ウイルス渦に直面して」というご院家さまのお同行へのお手紙は、蓮如上人の『御文』と同様に、疫病によって生活までもが変ってしまったこの時節に当たって、私たちの今の心のあり方を心配して下さっています。ご院家さまは、ウイルスの本性とウイルスがその環境にどのように働きかけるかを考察することから説き起こされ、自分自身の存続のために次々に違う宿主に寄生するウイルスは「心が尽きせぬ欲望に満たされている私たち人間に似ています」と仰っています。ご院家さまは更に続けて、私たちが佛さまのみ教えを「現象界の彼方から滿月の光を受け取るがごとく、身近に頂く」ように励まして下さっています。

コロナ・ウイルスは自分を守るための細胞膜も持たないというご院家さまの描写をふりかえって、顕明師は、「私たちの意識は自己中心の固い皮革に覆われているけれども、根本的にすべては『よって起こっている(縁起)』のであるから、私たちはいとも簡単に他者に影響され、自分の自己中心的な世界が乱されると、非常に悪い反応をするのです」と述べられました。続いて顕明師は「ある日座禅をしながらご院家さまのお言葉を考えていると、ウイルスと同様に自分が非常に悪い状態にあることが見えて来ました。私たちの意識の問題は、自分が感じているすべてを永遠であり真実であると思い込むところにあります。その我執を乗り超える唯一の道は、佛さまに帰依してすべてをお任せするしかありません。ご院家さまからこのお手紙を頂戴して、私の悲しみは喜びに変りました。すべては南無阿弥陀佛で一つになります。この疫癘の後には素晴らしい世界が来るだろうと思います」と仰いました。

顕明師のお話しに応えて、建心師は「コロナ・ウイルスのような私たちの悪業は常に私たちと共にあります。今コロナ・ウイルスへのワクチンができる事を皆待っているのですが、私たちはすでに佛法を頂いており、それこそが煩悩の暗躍を治療する唯一の薬です。自らの心を照らして下さるこの佛さまの光こそ、本来的にみんな受け取りたいと願っている不可思議な佛心のはたらきです」と仰いました。自由なディスカッションの後、私たちはみんなオンライン集会から退散して、今日受け取ったご法語に照らして自分を見つめ、日曜の朝の最後のご法座のために自らの所感を用意させていただきました。

翌朝、短い冥想の後私たちはこの疏開リトリートの最後の会座を始めました。そこでリトリートについての自分の思いや印象、お同行の話しを聞いた結果自分の心がどう変ったかを話し合いました。みなさんの所感のいくつかを紹介させて頂きます。

「自分の業について私は自由意志を持っているのでしょうか。私は去年初めて疏開に出席したときからこの疑問を抱いてきました。今や私には佛様の教えについての疑念は少なくなり、信仰心が増加して来ています。」

「私たちの心の共同体である僧伽の価値は、みんながお浄土への道中にあって、素晴らしい出会いを分かち合い、お互いに学び合い支え合っているというところにあります。」

「蓮如上人は、不安と瞋りを離れ、佛法に向うように指し示して下さっているように感じました。それは、家族、友人、僧伽等、大事なものに心を集中することの大切さに気付かせてくれました。いつかまた一緒に集まることができた時には、前にもまして三輪精舎を有り難く思い、決して当たり前とは思わないことでしょう。

「私の本当の自己は、自分の持ち物ではなくて、自分を超えたもの、友人たちの中にあり、世界の中にあり、佛さまの手の中にあるものだと、僧伽との出会いよって強く感じるようにならせて頂きました。」

「私の業は非常に強くて重いので、私が主人に心から感謝できたのは、彼の命が危機に直面した時だけでした。私は業ばかりで不完全な自己ですが、南無阿弥陀佛が私を導いて下さいます。」

「疏開リトリートで私たちが冥想を始めたとき、私は今までわが家で気を散らすことなくただ黙って静かに坐ったことがなかったことに気付きました。皆さんの宿題を聞き、三輪精舎のお仏壇を見てから私は大きな安心感を覚えました。三輪精舎で育てて頂いて、それ以上に素晴らしい人生の出発点はあり得なかっただろうと思います。」

社会的孤立のために私たちが皆感じていた物理的な隔たりと多くの心配にも拘らず、この疏開リトリートは、僧伽のはたらきとして、以前より遥かに私たちを近付けてくれました。私は、オンライン会座として疏開リトリートが開催されたことにより、私たちが正行寺から頂いたこの非常に特別な信心の法動が継続し、このような暗い時期に佛法の光を届けて下さったことに非常に感謝しています。佛法という不可思議な贈り物を私たちに分け与えて頂いて、正行寺と三輪精舎に心より感謝申し上げます。

アンドリュー・ウェブ